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●レスリー・チャン映画 知られざる52の秘密 八卦篇 その24、《欲望の翼》の主人公はアンディ・ラウだった ウォン・カーワイはずっと60年代をスクリーンで見せる方法を考えていた。社長のアラン・タン(鄧光栄)のサポートを得て、ウォン・カーワイとジェフ・ラウ(劉鎮偉)は《欲望の翼》の脚本と、キャスティングなど一連の作業に取り掛かった。 《欲望の翼》はアラン・タンという傑出した映画人の出資作品で、ウォン監督の前作《今すぐ抱きしめたい》の興行成績が良かった為、この作品もアンディ・ラウを第一の主演男優と考えていた。その後人の紹介があり、ウォン監督はレスリーに出会い、高く評価した。当時監督は、レスリーを脇役として何場面かに出す予定だったが、話し合ううちに意気投合し、監督も大いにインスピレーションを掻き立てられ、その内にレスリーは第一の主役となり、アンディは助演になった。 レスリーの放蕩で何ものにも捉われない“不良青年”の演技は、神技の域に達し、ウォン監督のこの選択はスタンディング・オベーションに値すると証明した。 アンディ・ラウに話を戻そう。 アラン・タンが予約したクリスマス上映枠まで時間は十分あったとはいえ、最上を求めるウォン・カーワイの撮影は遅々として進まなかった。時間が再三延長され、上映期間間近になってもまだ撮影しており、撮影隊には緊張が高まっていた。長きにわたる撮影で残されたフィルムも多量で、ウォン・カーワイは公開後に 3時間・4時間の新版《欲望の翼》の作製を考えたそうだ。もし本当なら、ウォン・カーワイ映画ファンにとっては吉報である。しかし15~16年経っている。そして彼が言った通りに行動したのは見たことがない。 5、ジョン・ローン(尊龍)犬の為に出演辞退。虞姫はレスリーの手に ハリウッド・スターとの契約は仔細を極める。演技者の権利を守るためとはいえ、しばしば些細な事の為に大事を見失っている。香港映画界の先輩・蕭若元はハリウッドがチョウ・ユンファ(周潤發)らに悪い影響を及ぼしたという。曰く、以前香港では条件が合えばすぐに撮影した。皆一稼ぎする為で、車だの、ガレージだの、専用トイレだのを求めなかった。お互いの顔が立てばよく、何も特別にする必要はなかった。 ハリウッド帰りで、契約上の些細な事の為に撮影に至らなかった最高の例は、ジョン・ローン以外ではあるまい。 《覇王別姫》は投資額も大きく、撮影開始前から映画界では話題になっており、スターたちも出演の機会を虎視眈々とうかがっていた。原作者の李碧華は、小説の程蝶衣はレスリーを想定していると述べた。また81年に羅啓鋭が同名のテレビドラマを撮影した時も、レスリーに程蝶衣役の出演依頼をしている。 10年後(1991年)演技が更に成熟したレスリーは銀幕に復帰し、その一作目は《覇王別姫》の可能性が極めて高いと洩らした 当時レスリーとトムソンとチェン・カイコーは口頭では合意を得ていたが、契約書上の、“4ヶ月で完成”という箇所で、意見の一致が得られなかった。11月、レスリーは正式に出演を辞退した。 そしてアカデミー賞受賞作《ラスト・エンペラー》に出演したジョン・ローンが香港に戻って、自らを推薦した。ジョン・ローンは京劇出身で、虞姫を演じる上でも有利だった。同様に京劇学院出身のカンフースター、ジャッキー・チェンも一度は候補に上がっていた。 91年11月13日、トムソン社長の徐楓はUS$ 150万で、ジョン・ローンと《覇王別姫》の出演契約すると発表した。しかし蜜月は長く続かず、一ヶ月後契約上の些細な問題で口論になった。当初、徐楓はジョン・ローン側の言う条件をのんでいた。例えばプライベート運転手、プライベート・ボディ・ガード、アシスタント、特定の飲み物などなど。しかしジョン・ローンは何度も、自分の犬を検疫なしで北京の税関を通過させて欲しい。こういう細かい事までなされないと、集中して演技できないと言った。この多大な要求に、徐楓はもう手に負えないと考え、言い争いになって気まずく別れた。12月、ジョン・ローンは正式に出演を辞退した。 仮契約までしていたジョン・ローンが辞退した事で事情は一変し、皆の視線は“最も適切な人選・レスリー・チャン”に集まった。92年初め、チェン・カイコーがひそかに香港を訪れ、レスリーと直接会って話し、最終的に合意を得た。 レスリーによると、チアン・ウェン(姜文)も虞姫を演じたいと意欲を示し、チェン・カイコーは覇王役として考えたそうだ。 |
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