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●レスリー・チャン映画 知られざる52の秘密 暴露編 その411、《紅色恋人(追憶の上海)》では、何故共産党員にレスリーが起用されたか? 葉大鷹は中国共産党員の中には深い教養を身につけ、経験豊かな人がおり、新たなイメージで見られるべきと考えているようだ。図体ばかりでかく、口汚く罵るようなのではなくて、強い意思を持ち、内面も磨かれ、豊かな精神生活を送る男性だと。 葉大鷹はレスリーと仕事をする機会を得て、出演作をじっくり見返した。そしてレスリーは独特の雰囲気をたたえ、自分の作品のある人物にぴったりだと考えた。レスリーは裕福な家庭の出身で、高い教育を受け、英語が流暢ということも役に合った。そこで《紅色恋人》に起用すると決めた。 家庭的な事情から、レスリーは中国政府をあまり信用していなかったが、《覇王別姫》《風月》《新上海灘》などの作品で中国側と仕事をし、中国への見方も変わった。これも彼が《紅色恋人》に出演する自信の基となっただろう。 この作品が気に入り、レスリーは《紅色恋人》に《A Time to Remember》という英語名を贈っている。 更に言うと、この作品は観客を考慮して2バージョン作成された。一つは英語を主とし、もう一つは普通語が主である。英語版が正式と決められた。あなたが見たのはどちらですか? 12、《流星語(流星)》のタイトルの由来 《流星語》は本来《黐頭芒》というタイトルの予定だった。ストーリーはチャップリンの《キッド》が基になっている。イー・トンシン、ジェイコブ・チャン(張之亮)などが組織した“創意聯盟”の開業の作で、“俳優の報酬を低額にし、配当金を受取る方式で映画を製作する”事を広めるべく、レスリーは形式的に1ドルの報酬を受取った。(初めはレスリーに依頼する勇気はなく、トニー・レオンを考えたそうだが)。 “黐頭芒”というのはまとわりついて離れない子どもを言う。しかしこれは分かり辛く、監督は香港でも、何度もどういう意味か聞かれた。その後、レスリーがこの作品に《流星語》という主題曲を書き、映画にぴったり合ったため、ジェイコブ・チャンは目を輝かせて、その名前を映画のタイトルにした。そして主題曲は《小明星》に変えた。 《流星語》は余り成功したとは言えない。少なくとも“創意聯盟”にとっては成功ではなかった。当初イー・トンシン、ウォン・カーワイ、アン・ホイ(許鞍華)、ピーター・チャン、シルビア・チャン(張艾嘉)…皆が1作ずつ撮るといっていた計画は、全ておじゃんになり、残ったのはジェイコブ・チャンとレスリーのこの作品のみだった。(レスリーは株の49%を所有し、出資者の一人である。そこで作品にも張國榮作品と出ている)。 2005年、他の人たちが“創意聯盟”から退き、会社はジェイコブ・チャンのものになった。チャン監督は債務を返した後、レスリーへの分配である利潤の49%を、晴れ晴れと唐氏に渡した。そして一番初めに支持してくれたレスリーに感謝した。 13、《チャイニーズ・ゴースト・ストーリー》の“スーシン 小倩”はもともとジョイ・ウォン(王祖賢)ではなかった ツイ・ハークは主演男優はレスリーと決めていたが、主演女優はなかなか決まらなかった。ジャッキー・チュンの妻のメイ・ロー(羅美薇)や日本の女優も考えたが、適切な人選はなかった。当時はそれほど有名でなかったジョイ・ウォンは話を聞き、編集監督の毛遂に自分を推薦した。カメラテストの結果、求めていた幽美さが得られた。ツイ・ハークも彼女を選んだ。 この作品では、レスリーとジョイ・ウォンは非常に息が合い、良い効果を上げている。レスリーのニン・チョイサン(寧采臣)とジョイ・ウォンの小倩も観客に忘れがたい印象を残し、経典とも言える役になっている。 またこの作品の後、ジョイ・ウォンは大人気となったが、スターの面子を捨てて、再度毛遂監督に自らを推薦したが、今度は運がなく、太っていたゆえに採用されなかったエピソードは“ゴシップ篇”にて。 ― 掲秘篇 完 ― |
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