1998年紅色戀人Dr.Payne役Todd Babcockからの手紙 -part3-


一旦撮影が始まるや否や次々と色々なシーンを撮って行った。
今までは観たことのある中国語映画について彼に話を していた時、彼が
「狼たちの絆」に出ていたことを知らずに、ジャン・ウー監督作品の中で一番のお気に入りだと彼 に言った。すると彼は「僕、それに出ていたんだよ!」と言ったので大笑いになった。その時から僕たちは本当に打ち解 けてお互いを楽しみ出した。撮影の合間、お互いを笑わそうとして冗談を言い合った。「紅色恋人」の話を変えて、秋秋 (メイテイン)はほうっておいて、ジンとペイン医師の愛情物語にしようとと冗談を言い合ったりもした。ホテルで僕が 出会った英国紳士風のレスリーは今やこのような元気一杯のガキに変貌していた。リハーサルの合間にマドンナの物真似 をして見せ合ったりして愉快に時を過ごしていた。

レスリーは数多くの映画出演の経験があり、真のプロフェショルだった。カメラがセットされ撮影の準備が整った時、何 を自分がすべきなのか、どこを見たらいいのか、的をどこにしぼったら効果的なのかを全て把握していた。同時に、カメ ラがオフの時に、どうくつろいだらいいのか、楽しんだらいいのかも知っていた。

それはレスリーとの撮影日の中でも一番満足した日のことだった。その日は、20時間ほど撮影をしていたので、二人共 疲労困憊していた。やっとその日の撮影が終了したと思ったら、監督が街の向こうに行き、街の中心部でもっと僕の撮影 をしたいと言うではないか。僕はあまりにも疲れていたので、なんとか別の日にしてほしいと懇願した。最終的には、僕 が折れて、やるけどひどく疲れているのでそういう顔に映るだろうと言いながらも引き受けた。監督は僕の背中をポンポ ンと叩き、「ありがとう」と言った。その30分後に監督が僕に「行かなくていいよ」と僕に言いに来た。後になって分っ たことだけど、レスリーが監督に、あまり僕を酷使しないように言ってくれたそうだ。

前に書いたように、レス リーは僕の手を取り僕を支えてくれていたのだった。
その日の昼食(そう、もちろんマクドナルドだった)の時、僕 が今までしてきた仕事についての話で盛り上がった。返還後の香港や中国の歴史やこの映画について僕がどう思っている かについて話した。彼は取り繕う所がなくてとてもオープンで、彼の演技についての僕の意見を聞きたがった。僕の意見 を聞きたがるとはなんてすごいことだろうという驚きで頭が一杯になり、我々は一つ目標に向かって一緒に仕事をしてい るのだという思いを強くした。

撮りなおしをするために、僕のアパートのシーンに戻った時のことだ。一番最高のシーンではないかと思うのが僕らの このシーンだ.......この頃にはすっかりレスリーと打ち解けていたので、彼が僕と対決するために顔を近づけてきたとき (このシーンは映画では最終的には使用されなかったが、ペイン医師がジンに挑むシーンだ)、僕は吹き出してしまった 。レスリーはカットになった時に笑顔でしかし不思議そうに「何故君は笑っているの?」と聞いた。僕が思うに、この頃 にはすでによく彼のことが分っていて、お互いに多くの冗談を言い合って来ていて、彼が近づいたら理由もなくおかしく なってしまったのだろう。そして、僕自身がすごく楽しい気持ちだったので吹き出してしまったのだろう。

映画の中でも最悪のシーンはこの後、間もなくやってきた。それはジンが僕の頭に銃をつきつけてハウミングと対決する 雨の中のシーンのことだ。その日は恐ろしく寒くて、その上テイクの度に大量の凍りついたような水を頭に浴びせられた 。部屋には暖房設備がなく、テイクの合間には、寒さとびしょびしょに濡れた冷たい衣装で何時間も我慢して座っていな くてはならなかった。レスリーのアシスタントはすごく協力的だった.....レスリーは彼女に,下まで染み込まないよう に僕の衣装の下にラップを巻くように言ってくれた。彼自身もラップをぐるぐると巻いたミイラ状態で、その姿はおかし かった。
彼は僕がちゃんとした待遇を受けているかいつも気を配ってくれた.....撮影の間中、いつも落ち着いた声 で。食事の注文をしてくれて、熱いお茶を用意してくれて、そしてお互いに寒さでがたがた震えながらこの映画が中国に どのような影響をもたらすのか、米国で公開される可能性について話し合った。僕らは叶大鷹監督の最初の作品「レッド ・チェリー」についても話した。そしてレスリーはこの監督と仕事をしたかったのでこの「紅色恋人」を引き受けたと言 った。更に、このジンの役に強く惹かれていて今までとは違った役だと語った。

 
Next Page →

禁無断転載 © 2006 Leslie Legacy