1998年紅色戀人Dr.Payne役Todd Babcockからの手紙 -part4-



ファン達のレスリーへの大いなる注目ぶりを僕が認識したのはこの日の事だった。普段は大衆から離れたセットで撮影 していたので、レスリーが映画スターだという事をあまり意識していなかった。しかしこの日は大勢のエキストラがおり 、上海の中心部で撮影していた事もあり、大勢の人々が戸口で中を覗いていた。レスリーの対応はお見事だった。サイン を丁重に求める人には誰にでも応えていた。一緒に写真を撮ってほしいという要望にも応じていた。ずぶぬれで寒さに震 えていた時にさえも。彼がいると物事が順調に行く事にも気がついた。例えば、上海のある銀行の経営陣たちは、レスリ ー本人を見たいのと、彼と一緒に写真を撮りたがった為に、上海の銀行を借りて何日間かロケをする事が出来た。

彼が唯一腹を立てた様子を見せたのは、病院でレントゲン撮影のシーンを撮っていた時に、無数の若い女の子達が彼 を見てずっとキャーキャーと悲鳴をあげて騒いでいた時だけだった。その結果、彼を裏口から人目につかないように密か に出さなければならなかった。このように撮影の妨げになるような限度を超えたものは嫌がっていたようだ。

ある日、彼と映画「タイタニック」について話し合った事がある。僕はジェームス・キャメロンの大ファンで、その上 、レオナルド・デイカプリオとケイト・ウインスレットが出ているから良い映画になるはずだと期待していた。(この二 人の俳優は、彼らが出演していたインデイーズ映画を観て気に入っていた)。この映画は素晴らしいものになるだろうと 僕が自慢していたら、何と、レスリーは既に観ていると言うではないか!香港では映画の公開がそれ程早いことを僕は知 らなかった。彼は生憎とこの映画にあまり感心していなかった。この映画のキャステイングがあまり良くなかったと彼が 僕に語ったのを思い出す。レオとケイトの関係は、恋人同士と言うよりも、姉と弟の関係にたとえられると言った。その 当時、僕はこの映画にすごく期待していたので「君の見解が間違っている事を祈るよ」と彼に言ったのだが、この映画に 対する自分の意見を彼が率直に語った事に敬意を感じた。

全ての仕事をやり終えた後には彼と一緒に大いに楽しんだ。レスリーは紳士であり、プロフェショナルであり、その上 、一緒にいて本当に楽しい人だった。彼と最後に会ったのは打ち上げパーテイーの時で、彼は撮影用に生やしていた口ひ げとあごひげを綺麗に剃り落としてきた。自前の服を着た彼は、すごくすっきりとしていて撮影の時よりも10歳若く見え た。(多分僕もそうだったと思うけど)。レスリーは打ち上げでも皆の注目の的であり、座を盛り上げていた。沢山の食 べ物や新鮮なロブスター等のごちそうが並んだ。僕らは、どういう風なスペルだろう………Bai zho(白酒)という中国 のお酒や赤ワインを飲み、写真を何枚も撮り、カラオケで歌ったりして楽しんだ。皆大いに楽しんでいたが、最後にはレ スリーに別れを告げる時がやって来た。彼は名刺を皆に渡して、打ち上げで皆が騒いで収拾がつかなくなる(実際にその 後、収拾がつかなくなった)前に去って行った。僕らはその後、LA Cafeに場所を変えて踊ったりして楽しんだ。

レスリーにまた会える日が来るのか僕には分らない。今ごろ彼は映画撮影に入っているはずだ。しかし、彼はこの映 画で素晴らしい仕事をしてきっちりとその責任を果したと思う。僕は、この映画に出ていたキャスト全員に感銘をうけ、 一緒に仕事が出来てよかったと思う。 レスリーがこの映画で金鶏賞の主演男優賞を受賞してほしいと祈っている。そし て、他の友人たちの幸運も。

スザンナ、これが貴女の知りたかった事だと良いのですが。レスリーとの思い出だけに集中しようとしても、全部の 出来事がいっぺんに頭の中でごちゃまぜになってしまい難しかったけど、最善を尽くしたつもりです。もし何かご質問が おありでしたら、喜んでお答えします。貴女に写真を焼き増しして送ろうと思っているのですが、自分の仕事に忙殺され ていて未だに送れずにいます。貴方の幸運を、そして「紅色恋人」を気に入って下さった事を祈っています。

Todd Babcock 1998年11月30日

 

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