1998年紅色戀人Dr.Payne役Todd Babcockからの手紙 -part1-


Dear Susanna,

郵便物は何も受け取ってないので、あなたが送ってくれた小包を来週郵便局に
探しに行こうと思います。あなたが言 ったように僕は「紅色戀人」を友達から貰いました。2・3回見ることが出来ました。僕のその映画に対する反応は、し ばしば変わります。そして人の反応は様々です。最後に見たのは家ででした。それがむしろよかった。奇妙なことに、ど うして人は違ったものに惹きつけられたり、嫌がったりするのだろう。ある人の考えでは、僕の役はどちらかと言えば、 深く掘り下げられてない。また他の人たちは僕の役とストーリーを支持していていました。ある人は、レスリーの役ジン の性格が理解できなかった。彼らは中国史や献身の本質を知らないからだ。なのに、彼らは感動した。僕を本当に驚かせ たのは、主演女優メイティンについて語られないことだった。中国では、彼女に注目したり褒めたりするのをまったく聞 かなかった。彼女は可愛い女性であり、この数週間この映画を繰り返し観ては彼女の演技にますます魅了された。彼女の 演技はすべての出演者の中で一番すばらしい。彼女は映画の中で、とてもか弱く、強くそして美しい。彼女が出演作でも っと認められことを望みます。

ともかく、僕はあなたがレスリーについての話に一番興味があることは知っています。僕は何て書いていいのか、 あなたがどんなことを聞きたいのか、まったく分からないので、レスリーについて書くことを引き延ばしてきました。 しかし、僕の経験したことが記憶の彼方に行ってしまい忘れてしまう前に急いで書くことにします。

僕がアメリカでこの話を聞いて、上海での映画の契約をした時にはまだ現実感がなかった。。それはワクワクするよ うなことだけど、しかし、現実に中国に行くんだと言う考えは、ちょっとクレージーのようだった。実際に中国へ行った 事のある人なんて僕の周りにはあまりいない。まして上海で3ヶ月も一人で映画を撮ろうなんて人は誰も。僕は監督と脚 本家と第一製作助手と座って、映画や中国や他の出演者のことを話した。その時、初めて僕はレスリーがその映画に出る と知った。僕はメイティンの写真の隣に並べられた彼の写真を見た。彼らが君の共演者だと監督たちは言った。もう一度 、二人を見ても僕がこれはもう事は現実なんだという気がしなかった。彼ら二人は写真の中でとても美しく見えた。それ で、すぐに中国へ向かった。

ところで、レスリーが来た時には僕達はすでに2ヶ月中国で撮影をしていて、映画の重要な部分の撮影を済ませていた。 僕は「覇王別姫」「狼たちの絆」や多分後もう一つか二つレスリーの作品を見ている。僕の友達でクラークを演じた、ボ ブは時間が有り余っていたので、僕がセットにいる間、始終レスリーをTVで見ていたと言った。そして、ついに、大いな る期待の末、僕達はレスリーが到着したこと聞いた。僕はついに共演者と会えると興奮したと同時に、彼が1ヶ月も早く やって来たので、映画を早く仕上げることが出来、4ヶ月じゃなく、3ヶ月で家に帰ることが出来ると喜んだ。その日は 撮影がなく、監督はレスリーときちんと挨拶し彼を食事などに連れて行きたがったので、僕は眠って、その夜、彼と会っ た。電話を貰った僕は二階に行き、監督の部屋で彼と会った。可笑しいのは僕がそこに入った瞬間、これからはすべてが  違っていくだろうということをすぐ感じた。
レスリーはスターだった。そして彼の周りに発するエネルギーは、僕 がそこで働いた2ヶ月を変えさせるものだった。そこに踏み込んだとき、照明がこうこうと灯り、カメラが僕たちの会合 をドキュメンタリーとして撮影していた。レスリーは全身黒を身に付けていた。タートルネックと濃い色のピーコート、 ソファに非常に上品に座っていた。僕は全面笑みを浮かべおずおずと歩み出た。彼は正統なイギリス英語で話し、それが 彼を一層エレガントに礼儀正しく見せていた。彼は映画や僕の経験について入念な質問をし、ストーリーに関する意見を 述べた。僕達は全員座って、僕はまるで、お兄さんにいい印象を与えようとする子供のように一生懸命説明しながら 、映画の撮影済みの シーンを見ていた。

ボブは後で僕のふるまいがどんなに子供じみていたか、どんなに怯えていたか僕に話した。僕は・・もちろん、僕は 滑らかに、リラックスして、態度は申し分なかったと思ったけれど・・・そのうち、ボブと同意見だったって気づい たのだが・・・。

さて、レスリーは直ちに撮影に取りかかり、そのお陰で僕には暇な時間が出来た。彼の多くのシーンはメイティンと だったので、僕は眠ったり、映画の中で僕のピアノのインストラクターだったガールフレンドのリアン・イーと過ごす時 間が出来た。

僕がセットから離れていた(僕たちはほとんど毎日働いた。)日がジョアンチェンが訪ねて来た日だったので、休んだこ とを後悔した。彼女とレスリーは友達で、僕はあまり知られてない映画「Blood of Heroes」を観て以来彼女のファンだ った。
彼の撮影初日は非常にうまくいったと聞いた。

 
What Todd Babcock said about Leslie back in 98 -part1(English)

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