●レスリー・チャン映画 知られざる52の秘密 暴露編

-レスリーを余り知らないあなたへ 彼は香港映画に多大な貢献をした-

1、《色情男女(夢翔ける人)》の主人公のモデルは誰か?

*(写真の解説)この作品を良く見ると、ラウ・チンワン(劉青雲)扮する“爾東陞”が、同性の友人とのプライベートな写真を撮られているのが分かる。*

《色情男女》は理想に燃える若い監督“阿星(レスリー)”が不遇で、成人映画の監督に落ちぶれる。しかし彼は現実を受け入れ、ポルノであっても低俗ではなく質の高いものを撮ろうと決意する。この作品は監督のイー・トンシン(爾冬陞)が自分を語っていると思われてきた。しかし実際にはモデルは彼ではなく、イー監督もインタビューで、別にモデルがいると答えている。だがその名前は明かさなかった。

つまるところ、成人映画を製作していることは何も自慢できることではないし、仮名で撮っても、責められることではない。作品の中である監督が、成人映画監督の“石川三郎”は誰か知っているか?と得意げに聞くシーンがある。ある人が言い当てると、その事はここ以外では口外しないように言い含める。その人の奥さんや子どもに迷惑がかからないようにと。好奇の目は必ずあるもので、実際に香港の有名なポルノ映画監督の“陳奥図”は誰かと、みな知りたがっているのと同じだ。

《色情男女》は封切られてから12年が経ち、もうそのモデルの名を言っても大丈夫だろう。ストーリーはイー監督の親しい友達で、かつて助監督も務めた林慶隆の経験から来ている。

林慶隆はスクリプターから始め、80年代の後半にバリー・ウォン(王晶)の助監督等を務め、《賭神》《賭侠》《追男仔》《天若有情》等の撮影に携わった。90年代初期、生活の為にポルノ映画を撮った事がある。良く知られている《香港奇案之吸血貴利王》《満清十大酷刑》などで、また2000年現在でも、小作品の製作を続けている・・・。

話を戻そう。作品には確かにイー・トンシン(爾冬陞)の影が見え隠れし、それはラウ・チンワンが演じる一文字違いの“爾東陞”だ。イー監督曰く「ストーリーから言って監督が自殺する必要があった。しかしどの監督にもそんな事はできない。だから自分を殺すしかなかった。ラウ・チンワンは私に似ていると良く言われていたから、彼に演じてもらった」。

2、レスリーはなぜポルノ映画《色情男女》に出演したか?

*《色情男女》ではレスリーは大胆な演技を見せ、最後には数十名のスタッフ全員が裸にまでなっており、香港映画人の奇跡と言われている。*

《色情男女》は誠意のある作品だが、成人映画指定されたのは、裸体のシーンが多いことと、セリフに下品な表現が多いからだ。同様にレスリーがこの年に出演した《ブエノスアイレス》も成人映画とされたのは、下品なセリフが主な理由である。

騙されて《紅樓春上春》に出演して以来、レスリーは露骨なポルノ作品には出ないと決めていた。では何故この情欲あらわなシーンのある作品に出演したのだろうか?

実はもともと作品の主演に考えられていたのは歌神・ジャッキー・チュン(張学友)だった。しかしジャッキーは大胆な演技を断った。イー監督は次にチャウ・シンチー(周星馳)に白羽の矢を立て、シンチーも出演を受けた。そこで脚本に手を加え、主人公の名前も“阿星”になった。しかしシンチーと監督の意見が分かれ、辞退となった。如何とも出来ず、監督は考えに考え、レスリーに救いを求めた。レスリーは脚本を評価し、出演を承諾した。登場人物の名前を変える余裕もなく、《色情男女》ではレスリーは“阿星”と呼ばれる事になった。

イー・トンシンはそれまで共に仕事をした事のなかったレスリーに対し、様々思うところがあったようだ。しかし合作を通じて、その見方は大きく変わった。この作品の撮影が終ると、レスリーと日本で撮影しようと考えたくらいだった。(その作品はイー・トンシンとジャッキー・チェンの《新宿故事》となった)その後、イー監督は《ダブル・タップ》《カルマ》及び《三少爺的剣》にレスリーを起用した。レスリーが去ると、監督は《三少爺的剣》は絶対に撮影しないと誓った。レスリーがこの作品の“燕十三”に最高のキャストだったからだ。

3、《聖誕快楽(メリー・クリスマス)》でのレスリーとダニー・チャンのスタントの謎

良く注意して見れば、《聖誕快楽》では、レスリーとダニー・チャン(陳百強)は同じシーンに顔を見せることがないと分かる。これは何故か?

レスリーは《失業生》の撮影時に、これが自分とダニー・チャンの最後の合作だと宣言した。その理由は「2人のイメージが似すぎているから」だった。3年後2人は再び合作する事になったが、すでにイメージの問題などではなく、人の目を欺くモンタージュだった。

レスリーは演技に全力投球する人であり、自分への要求も厳格だ。自分でできる事は、全て自分でやろうとする。どうしてもやむを得ない場合でなければ、代役は使わない。例えば《鼓手》では人の手でやるのが嫌で、監督にドラムを習う時間をくれるよう頼み、作品中のドラムのシーンは全て彼自身が演じている。後の《さらばわが愛、覇王別姫》でも、わざわざ北京で京劇を学び、自分が演じられるから代役はいらないと言った。しかし《聖誕快楽》ではダニー・チャンと出ている“レスリー”は全て代役なのだ。

アルバム“風継続吹”のリリース以来、レスリーは人気急上昇し、ダニーと2人は当時の香港芸能界の人気スターだった。

ある時ダニーがディスコに行き、“色が白くてきれい”だと褒められた。別の人が化粧をしているのか聞くと、ダニーは「どうして化粧なんかするの」と言った。その時側にいたレスリーが指でダニーの頬をなでた。そして指についたファンデーションをテーブルになすりつけ、「これは何?」と言った。ダニーはレスリーの暴露に我慢ならず、恥ずかしさと悔しさに激怒して、もう今後はレスリーとは出ないと言った。

ちょうどシネマ・シティ(新芸城)の作品《聖誕快楽》に二人が出る事になった。監督の高志杜は悩み、結局は2人のシーンを別々に撮影するしかなかった。(ダニーは麥嘉の息子、レスリーは麥嘉の娘のボーイ・フレンド役)同じ場所に居るべきシーンでは代役を使い、例えばレスリーがこちらを向いている時には、ダニーは背を向けている。ダニーが正面を向いている時には、逆にレスリーの代役の背が映っている。このように代役を用いることで、何とか問題を解決したのだ。

 
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