呉宇森 忘不了 「張國榮」眼涙在心裏流

《狼たちの絆》で呉宇森は張國榮を再び起用した。彼らが初めて共に撮った作品は、《男たちの挽歌》である。張國榮に対して呉宇森は、 ずっと兄弟同然に感じてきたという。《狼たちの絆》の撮影を終えた当時、呉宇森は語っている。
「まだ張國榮に良い脚本を書けていないのが残念でならない。彼はもっとその演技の才能を発揮できるのに。彼は映画を大切に考えてくれる。《男たちの挽歌》のキャストを 決める時、私はアラン・タムか張國榮かを考えた。張國榮に『この役は板ばさみになり、あまり誉められる奴じゃなく、歌手と してのイメージに影響するかもしれない。それでも良いか?』と聞くと、彼は『それでも良い。歌は歌さ。』と言った。 ここからでも、彼が優れた俳優だと分かるだろう。」

2003年4月1日凶報が届いた時、記者も嘘であれと、エイプリール・フールの悪ふざけであれと願った。遠くアメリカにいた呉宇森も、 この驚くべき知らせを受け止められなかったという。 「あの時は仕事中だった。不幸な知らせを受けて、どう反応していいか分からなかった。非常に驚いたし、信じなかった。 事実だと思いたくなかった。私の長女は一晩中泣き明かしたし、次女は一言も言わず黒い服に着替えた。ステキなお兄さんが突然 いなくなったようだった。私と妻は顔を見合わせて、やはり何も言えなかった。心が痛んだが、泣かなかった。以前尊敬する 何冠昌氏や張徹監督が亡くなった時、私たちは泣いた。 羅文にも涙した。しかし張國榮が逝ってしまった時、泣く事すらできなかった! 最も辛い時は、心の中で涙するようだ。」

呉宇森にとって張國榮は弟のようなものである。事実《男たちの挽歌》の撮影中、 張國榮は呉宇森を「哥哥」と呼んだ。こういったエピソードを、呉宇森は幾つも覚えている。

「香港で撮影している時、彼は私の事を「哥哥」と呼んだ。あの頃は彼の誕生日には家を訪ねたり、家族のような付き合いだった。 その後私がアメリカで仕事をするようになって、一度彼が訪ねてきたことがあった。私たち夫婦にご馳走してくれ、私を『師父』と、 妻を『師母』とよんだ。私が彼に何を教えたわけでもないが、このように尊敬していてくれた。その日食事していると、突然小さな 地震がおこった。テーブルや椅子が揺れ始めると、彼は片手で私の手を握り、片手で妻の手を握った。彼の緊張も伝わってきたが、 彼は「怖がらなくても、大丈夫だから」と反対に私たちを励ましてくれた・・・ このように誠実に、他人を気遣う人だった・・・」

  

張國榮がこの世を去った。呉宇森は思い出を語りながら、男泣きに泣いた。涙の中でこういうのが聞えた。「彼は自分の楽しみ、 愛、才能をこの世界に捧げた。その孤独と苦痛を心に秘して語らずに。偉いと思う・・・ 私にとってはいつまでも傑仔(キット)だ。頑固で強いけれども、脆弱な一面もあって。しかしあの快活で素直で、誠実な人を、 私は一生忘れない。」



2005/10/31up

「呉宇森傳―從獅子山到好莱塢」
作者:黄曉紅
出版発行:皇冠出版社(香港)有限公司
定価:HK$68