風華絶代 張國榮:光と影、灯り滅するところの永遠

2007-03-29

程青松BLOG訳

「脚のない鳥がいるそうだ。ただ飛び続けて、疲れたら風に乗って眠る。地上に降りるのは死ぬ時だけだ」《欲望の翼》 カラオケに行くと、誰かがレスリーの曲を歌う。また普段でも、時間さえあれば彼が主演した《さらば、わが愛 覇王別姫》《欲望の翼》《チャイニーズ・ゴースト・ストーリー》《ブエノスアイレス》のDVDを取り出して見ている。香港の芸能界はレスリーとアニタ・ムイを失ってから、だんだんに衰退し枯渇しているように思える。今の若い芸能人で、誰が彼らに比肩できるだろうか?

もう2日たてば、レスリーがこの世を去って4年になる。4年前私は重慶に出張していて、小陽から電話でテレビを見るよういわれた。ちょうどホテルにいたが、鳳凰台の衛星放送がそのニュースを伝えていた。他の人と同様に、エイプリール・フールの悪ふざけでは?と思った。しかし事実は事実だった。彼は飛翔という方法を選んだ。レスリーはわざわざこの日を選んだのではないと思う。身の回りに鬱病を患っている人がいるが、私の恩師の一人も、自殺という方法で人生を終らせた。それはどういう感情なのか?想像に難く、言い表せない。

つい先日、雑誌《書城》の編集者・朱朱来さんから追悼文章の依頼があり、私は<張國榮之浮生六記>と題して書いた。彼の人生をさかのぼる形で、彼への想いとアーティストとしての人生を記した。こうするしかなかったのだ。誰も結局は彼の心の内を知りえず、彼の映画と音楽からその心情を察するしかない。4年が過ぎた。レスリーのファンも彼がいないという事実を受け入れている。しかし私はレスリーは離れたことさえないような気がしている。彼の作品がより深くファンの記憶に刻まれたからだ。その才能、容姿共に唯一無二の存在である張國榮は、光と影が灯り滅するところで永遠になった。これは彼の幸福であり、彼を慕う者の幸福である

「あと6日すれば、哥哥が私たちのそばを離れて3年目の日がくる」この文章は私が《書城》に発表したものだ。文字間・行間に、彼の生き方、芸術、そして同性愛者としての生き方への尊敬をこめた。

張國榮之浮生六記 第一記:涅槃飛鳥

「脚のない鳥がいるそうだ。ただ飛び続けて、疲れたら風に乗って眠る。地上に降りるのは死ぬ時だけだ」《欲望の翼》

"時候已経不早 要永別忍多一秒已做到《陪イ尓倒数》"(もう早過ぎない 永遠に別れたいなら、もう1秒忍べば出来る)2003年4月1日午後6時41分、レスリーはマンダリンオリエンタルホテル24階の、スポーツジムのバルコニーで1時間あまりを過ごしていた。歌詞は歌詞に過ぎないが、しかし未来を予言するようにこの時のレスリーの心境と合っている。この時間に彼は多くの友達に電話をかけている。ある人には「鬱病に罹って長くなり、毎日が辛い。唐氏や他の親友が面倒をみてくれてとても感謝している。治すには時間がかかる」とまでいった。彼には時間が必要だった。

"時間は人を待たない。"これは映画《Before The Rain》で修道院の神父が言った言葉だ。あの時レスリーが辛くてたまらなかったのは、時間だった。もし時間が静かに止まったら、もしかすると彼はこの耐え難い時間を乗り切れたかもしれない。マンダリン・オリエンタルホテルの下に広がる美しい香港は、黄昏を迎えつつあった。疲労困憊したレスリーは一人空中にあり、羽毛のように軽く、生命の重みを感じなかっただろう。そして同じ時間、レスリーと芸能界で20年近くも"相棒"だったフローレンス・チャン女史は、階下のカフェで彼を待っていた。唐氏は家でレスリーが車で迎えに来て、一緒にバトミントンに行くのを待っていた。時間が立ちふさがっていた。渋滞に巻き込まれたように、みなずいぶん待って、やっと到達できた。

5ヶ月前、レスリーは自殺未遂をしたらしい。鬱病に苦しめられた彼は、また5ヶ月間の"生の苦しみ"に耐えた。唐氏が日夜を問わず力を尽くして、なんとかこの世界に引き留めたそうだが、レスリーはもう待てなかった。鬱病患者にとっては、"生"への倦怠を心の底から取り除くのは不可能だ。誰でも多少はこの世が嫌になることがあるが、往々にして死についての話をごまかし、すぐに別の"楽しみ"に変えてしまう。実際、死ぬには勇気がいるのだ。

46歳のレスリーはそのアーティストとして最も円熟し、演技でも歌でも自由自在だった。考えてみると彼より先輩の鄭少秋、チョウ・ユンファ、アラン・タムもまだ頑張っているというのに、彼は何が耐えられなかったのか?2002年にレスリーは最後の作品《カルマ》に出演した。この作品では精神科のドクターを演じている。愛情で患者を治療し、恐ろしい幻覚の世界から彼女を脱出させた。しかし更に恐ろしい事が彼自身に降りかかろうとは、思いもしなかった。彼自身も1度、また1度と異世界の現像をみることになった。そして20年前の心の奥底に刻み込まれ、忘れられない記憶を思い出した。作品ではレスリーは夢遊病となり、屋上から飛び降りようとする。この幻覚に苦しむ演技は賞賛するしかない。レスリーが《カルマ》の演技に入り込みすぎて、心のバランスを崩し、そこから立ち直れなかったという評論家もいる。この評論は《さらばわが愛 覇王別姫》の程蝶衣が"人生と京劇を区分できなかった"というのに似ている。また《風と共に去りぬ》のヴィヴィアン・リーが《欲望という名の列車》の後精神に異状をきたしたこともある。これらの説も道理だが、単純に失する感がある。レスリーの"生"に対する倦怠、生命の意義に対する懐疑は絶え間なく蓄積されてきたものであり、人生のそれぞれの段階における"生"への考え方が、最後の決定にも影響しているはずである。あの行動は衝動的であったかもしれないが、しかし長くかかって蓄積されてきた可能性も否定できない。

"没法找到一個永生国度 不如擁抱《陪イ尓倒数》"(永遠の世界が見つからないなら、抱きしめ合おう)。レスリーが抱きしめたかったのは何だろう?その刹那の永遠か?それとも永遠の解脱か?生まれる事は自分では選べない。では死ぬことは?自分で選べるのか?最後の時間、彼は何を見たのだろう?自分が飛ぶ鳥だと思ったか?夢を見る蝶?路傍を飛び交うトンボと思ったか?あるいはさっと差し込む春の光?そよ風?それとも"十仔"という子?しかし私はむしろ、彼は来し方を見たと信じたい。 2003年4月1日、張國榮46歳。バルコニーを越え、24階から身を躍らせた。ヒューヒューと飛び去る風を聞いただろう。


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2007/4/5up