完璧主義について―――私が見たスターたちの一面考えてみると昨晩ほど、多くの人を思い出した事はない。私は芸能界の片隅で仕事をしてきた。生まれもった性格と 受けてきた教育のせいか、芸能界の華やかさと裏にある冷酷さが捨てられない。スターたちを思い出すと、自然にこの 仕事についたばかりの頃のこと、成功したこと、辛かった事などを思い出す・・・ 明け方3時、張國榮を思い出し、涙が止まらなくなった。夜が明けたら、まず彼について書こうと思った。彼の励まし、 そして助けについて。 あの日以降、私は彼のことを語っていない。彼の話も避けてきた。気持ちが弱くなり、死ぬまでに追い詰められた。 事情があったのだろうが、詮索できるほど私は強くない。 張國榮・・・ 初めて彼に会ったのは90年代末で、私は仕事を始めたばかりだった。主に両岸三地(訳注:中国、香港、台湾を指す) の文化交流欄を担当していた。この仕事の悩みは、しばしばパーティーに出席しなければならないこと。服から化粧から、 自分でしなくてはならない。流行に乗り遅れた奴と笑われないかと、服装には気をつかった。あの日、宴たけなわで、 お世辞が飛び交い、私は居心地の悪さを感じていた。芸能人に会って、興奮する事もなくなっていた。実際人を気にする 余裕もなく、必要な挨拶のみ、事前に考えて覚えこんでいた。 その日はチャリティー・パーティーだった。張國榮を見かけ、『覇王別姫』について話したいと思ったが、彼は一人離れて 立っており、また私も経験がなく、彼の近くで声をかけて良いものか分からずにいた。するとなんと彼の方から「窓の側は寒いから、 冷えないように気をつけて」と言ってくれた。彼は本当に気遣いの人である。私はおぼつかない広東語で何か答えた。 彼が「記者らしくないね」と言ったので、名刺を渡した。 彼は両手で受け取り、仔細に眺めてから、私をもう一度見て「そんなに緊張する事ないよ。君だってきれいだ。」といった。 私が信じていないように見えたのか、彼はもう一度言い、私はうなずいた。私はすっかり上がってしまい、広東語はもう 支離滅裂だった。すると彼は「大丈夫だよ。北京語で話して。」と言ってくれた。申し訳なく感じたが、彼は続けて 「北京語はきれいな響きだよ。意思が通じたら、何語でもいいんだ。大丈夫、気にしないで。」といった。この時彼は 何度も「大丈夫」と言ってくれた。全く威張った様子がなく、私を脅かさないようにとでも言うように、自然で穏やかだった。 後になって張國榮の紹介でTVBの幹部と知り合い、共に仕事も出来た。 そして私が業界に慣れた頃、彼はいなくなってしまった。 あのニュースを聞いた時、私は1日何も手につかなかった。彼は本当に善良で、 人に良くし、嫌な思いをさせることはなかった。美意識をもち、よく鏡を見ていた。 そんな人が残酷な方法で命を終らせるなんて、エイプリルフールという風刺的な日に 命を断つなんて、まだ信じられない・・・誰かが彼を殺したのでは・・・とまで思ってしまう。 しかし私には証明する力はない。彼が助けてくれたようには、彼の力になれない。 張國榮は私の心の傷である。この業界にいる限り、この傷に触れたくない。自分が 耐えられるか。芸能界と関わり、自分が落ち着いていられるか自信がないからだ。 娯楽八卦フォーラムより 作者 冷新月 完美主義 ―― 近距離 察我所遇到過的明星方方面面 ――従来没有像昨一様, 回億起那麼多人那麼多事,
我算是走在這個圈子辺縁的人,因性格和所受教育原因,
一直游在某个地方,圈里的繁 和凄凉 我不愿舍弃。 國榮: 娯楽八卦 作者 冷新月 2005.12/20 |