譚家明(パトリック・タム)のレスリー観 

<外灘画報>に掲載されたパトリックタムのインタビューの抜粋 2006年4月9日


香港ニューウェブの旗手として「風にバラは散った」「最後勝利」「烈火青春」で才能を発揮する。 又王家衛映画「欲望の翼」「楽園の瑕」等の編集を手がける。長い沈黙の後ジョニートー監督作品「黒社会」で編集を、また1989年「風にバラは散った」 以来の監督作、「父子」の公開が待たれる。「烈火青春」は2006年香港国際映画祭でノーカット版で上映された。


Q=<外灘画報>

A=パトリック・タム

王家衛の最高傑作「欲望の翼」に関して:

Q:
監督業以外にも美術監督や映画の編集もされています。「欲望の翼」や「楽園の瑕」での編集は特筆すべきですね。

A:
「欲望」の編集は楽しい仕事でした。王監督は独自の視点を持っています。監督の気分や雰囲気を捉えることが一番大事です。 編集には口出しせず、自由にさせてもらえました。

Q:
あなたは、レスリーが「チャチャ」を踊るシーンに特に満足されたそうですが。

A:
台本にはなかったシーンです。王監督はこのシーンを映画のどこに入れるか想定していませんでした。とにかく撮影をして、 私の編集に託されたのです。

これ以外にも、カリーナ・ラウが出て行った後にレスリーがベットで煙草を吸うシーンも撮影しました。ある日、王監督からテープを手渡されました。 「脚のない鳥」についてのレスリーの独白が入っていました。これをどこに入れようかと考えました。ベットに寝そべるレスリーのシーンを入れようと考え、 長さが丁度いい事が分りました。あの独白はこうして誕生したのです。次に、チャチャのシーンをどこに入れようかと考え、ベットで煙草を吸う直後に入 れました。これら二つのシーンと独白はあの役の根幹となったのです。

レスリーが演じた役を際立たせるのには一つのカットで充分でした。ベット上の彼のシーンはとても退廃的で、次の場面ではとても活力に満ちて いて人生を楽しもうとする意欲に溢れています。

一人の人物の対照的な面をたった二回のショットと一つのカットで表すことに成功しました。その点が一番気に入っています。王監督も編集した このシーンを観た時には「完璧だ」とうなったものです。

レスリーに関して:

「楽園の瑕」には大勢の「スーパースター」達が参加していました。それでも、私は様々な役柄の比重を特に計ろうとはしませんでした。 誰も特別扱いにはしませんでした。この映画で一番良かったのはレスリーだと思います。殺しの依頼を請け負う語りがその良い例です。あまりにも上手 に演じたので、そのショットを二回も使用しました。

- Patrick Tam  《王家衛的映畫世界》より−

俳優としてのレスリーが一番偉大なのは、自分に対する自信です。それでも、決して利己的ではなかったです。演じる役に対する解釈について 絶対的な自信を持っていました。自分のイメージが壊れるのではなんて気にしませんでした。役に対する深い理解と演技力からその自信は来 ていました。それ故に、カメラの前に立つ度に自分のイメージを気にする事なく、役の人生を演じることが出来たのです。

演じるに当り、「格好良く見せよう」とか「クールに見せよう」とかしてぶることはありませんでした。高い品格を持つ彼がそうするはずがありません。 それは演技力がない俳優達が観客をだますために使う手です。彼は真の芸術家なのです。

- Patrick Tam ”銀幕の中の忘れがたきレスリーの魅力・カリスマ・芸”より−

2006/4/7 article


 譚家明(パトリック・タム)のレスリー観 その2 

2006年9月7日南方都市報 記事

パトリック・タムは《楽園の瑕》および《欲望の翼》で台湾金馬奨を含め、数々の"最優秀編集奨"を受賞し、香港ニュー・ウェーブ映画のもっとも重要な監督とされる。彼をウォン・カーワイの師という人もいる。1981年にタム氏は《烈火青春》を監督した。この作品はレスリー、イップ・トン、湯鎮業そして夏文汐が出演し、ウィリアム・チョンが美術監督を務めた。レスリーの当時としては前進的な演技のために、この作品は一時上映禁止にまでなった。作品中レスリーは放埓な救いがたい若者を演じ、香港電影金像奨の最佳男主角にノミネートされた。そしてこの作品は、レスリーの初期の代表作となった。


Q=<南方都市報

A=パトリック・タム

Q:
初めてレスリーにあったのは、いつですか?

A:
初めて会ったのは、man markだったと思います。当時は彼のことは全く知りませんでした。午後で、レスリーがブティックの袋をいくつも下げていたのを覚えています。俳優として、自分のイメージを考えて服を買っていたのでしょう。彼は私の事を知っていたかもしれませんが、挨拶したこともありませんでした。しかし知り合えて良かったと思いました。当時私はテレビ局から離れて、映画を撮影していました。しかし当時テレビをご覧の方なら、私の作品の印象があると思います。彼は非常に真面目な俳優で、非常に意識して演じていたのでしょう。どこにでもいるような俳優ではなく、彼も私の作品を意識してくれればと思いました。

Q:
次にレスリーを起用して、《烈火青春》を撮影されていますが、当時のレスリーの様子は?

A:
《烈火青春》を撮影した頃、彼はぎりぎりの生活をしていたと思います。《烈火青春》のセリフ録音の最後の日、プロデューサーがこの日に給料を支払う約束だったのですが、この日には払えなくなったと言いました。レスリーは非常に怒って、かなり口汚いことまで言いました。そして、結局最後のセリフの録音はしませんでした。あのセリフは「社会が何かって?ぼくらこそが社会なんだ」と言うものでした。現在録音されているのは、助監督だったスタンリー・クワンの声です。(注:このセリフはイップ・トンが「私たちは社会に、何の貢献もしていないんじゃない?」と尋ねたのに答えたものです。)

Q:
他に印象的なエピソードはありますか?

A:
初めてイップ・トンに出会う場面で、彼がイップを前の恋人の家まで送っていくと、彼女の荷物がベランダから投げ捨てられていたと言うシーンがあります。なぜかレスリーは、どうしてもこのシーンに入り込めませんでした。私は彼を脇へ呼んで、集中するように叱りました。彼はプロ意識が高いですから、その後はすぐに役になりきりました。

Q:
この作品は金像奨で、多くの項目でノミネートされましたが、監督ご自身は満足されていないそうですが?

A:
そうです。当初の予定では、最後の場面は不安定に揺れ動く船の上で行う予定でした。しかし船上で乱闘のシーンを撮るのは難しく、また安全対策にお金もかかるため、出資者がうんと言いませんでした。結果浜での撮影になり、私の望み通りには描けなかった。また最後のシーンの撮影には、私は参加しませんでしたし。(この作品は、資金不足の影響で、完璧にはならなかった。)実は当時、レスリーとイップ・トンのかなり大胆なシーンも撮ったのですが、これも上映は出来ませんでした。

Q:
レスリーをどのような俳優だと思われますか?

A:
レスリーはプロ意識の高い、優れた俳優で、非常に魅力的です。現在は彼のような高貴な気質の俳優はいませんね。彼の主演作の中で、私は《欲望の翼》がもっとも好きです。《楽園の瑕》での演技も非常にすばらしいです。

Q:
《烈火青春》ではレスリーは"売上の足を引っ張る"存在であったと言う人がいますが、どうお考えですか?

A:
当時彼はまだ、いろいろな作品に出演した経験があった訳ではありません。経験浅く、スタートしたばかりでも、売上の保証にならない俳優と言うだけで、足を引っ張るというほどではありませんでした。《烈火青春》は彼の傑作の1つです。ある階級の青年の気質を良く表現しています。彼自身がまさにその、恵まれたとは言えない環境で育ったのですから。

2006/9/12 article