哥哥について−高調主義 2001年11月5日 太陽報 少し前「終身成就獎」を仙姐(白雪仙:粤劇の往年のスター)が受賞するのをみて、ふと哥哥を思った。同様の栄誉が彼にも与えられるのだろうか?(もちろん、そうすべきだ)仙姐と哥哥は良く似ている。そして共通点でありそれだけではない所は、もちろん体を張って努力したことだ。"二人の男と二人の女"はそろって神の眷属になるにふさわしい。そして映画と舞台での「[女交]」と「威」 「威」といっても威圧するのではない。哥哥がガンマニアや殺人鬼を難なく演じたとしても、それは彼ができる事の一つを示して見せただけだと思う。(ちなみに、できる事、その2は鬚面である) 私が言わんとする「威」は、「アンバランスさ」といったようなものである。布の柄であっても「威」と形容されるのを聞いたことがあるでしょう?花柄でしたか?通常はそれは身に不相応なほどの華美さを指す。言葉を変えると、不釣合いで着ている人の自信をも揺るがしそうなことである。つまり実際とこっけいなほどかけ離れていて、実現は出来そうにもないこと。 哥哥はこの「高調」を求めていたのではないだろうか。でなければ、関わる事全てに全身全霊の情熱を傾けることなく、もっと肩の力を抜いてやっただろう。観客としては、もっと多くのスターに哥哥のように湧かせてほしい。賑わせてほしい。私はもちろん仙姐一門の末席にもつけないが、そのパーティーがどれほど楽しかったか、聞くだけでも愉快になるものだ・・・・それと同じように。 硬を選び、軟を取らず 哥哥はHard Luckの人だと思う。Hardというのはつまり融通が利かないのである。活発性に欠け、柔軟性も乏しい。というと、即座に反論されそうだ。「哥哥の姿がいつも同じで、演技も変化がないというの!」と。もちろん違う。しかし彼が努力を重ねて多様なパフォーマンスを見せてくれたため、私たちは魅かれ続けたのである。「次は何を見せてくれるの?早く見せて!」と。 これはまた哥哥に緊張を強いる事にもなっていただろう。例えば何か新しい事をする時、思い通りの効果を性急に求めすぎた様にも思える。つまり過度に高みを目指したのである。 「硬」も哥哥の特色と言えるかもしれないとまた思う。「彼にだけ、他の人にはない」と言えるような。彼については人づてに聞いた情報しかないのだが。(同じ中学に一年いた事と、98年ベルリンに行った数日を除けば)そして私自身のイメージを加えて、やはり彼は真面目過ぎるタイプだと思う。 頑固に怒ることも、威張り散らす事もなく、彼は一大巨星としての役割をわきまえ、藝壇に不朽の名を残した。そして当然哥哥は言うだろう。芸能界は"シンデレラ"ではなく、救ってくれる王子様はいないと。どれだけ逆境の時があるか、人に比べてもどれだけ辛い努力をしなければならないか、分らないものだと。 高調主義 前一陣看了仙姐領「終身成就獎」,不期然便想起哥哥。先不説同樣的榮譽是否會有落在他頭上的一日(我十分肯定,完全沒有懷疑:會。)就是在其他事情上,他和イ巨也有很多相似之處。(雖然曾經有個階段,我以為演藝界的「男白雪仙」就是羅文-應該是他發行《卉》的那段時間ロ巴。)而,若要選出其中最神似而不單是相似的一面,我會説,當然是以身體力行來印證兩個男人和兩個女人都可以手挽手地成為「神仙眷屬」-合法地、公開地。 其次,便是在銀幕和舞台上的「[女交]」和「威」。 「威」不是虎膽龍威的那種-那太Bruce Willis了,儘管哥哥從不會被槍王、殺手之類的角色難倒,但我總覺得那是他為了向人們證明自己做得來而做的事情之一。(之二:留上滿面的?鬚根)-相反,在我心目中的「威」,其實更接近Camp:?聽過有人用「威」來形容一件衣裳或一塊布的圖案、花紋ロ馬?通常都是指它們過於花イ肖,跟自己的身分不相稱。換言之,太高調了,威脅到將它穿在身上的人的自信心。 哥哥?對是「高調主義」的信徒,如果不是。除非他對該件有?參與的事情沒有十足的Passion,否則一定不會放輕脚歩,一切從簡。作為普通的一個觀?,我自然希望明星中有多幾顆是像哥哥般愛好熱鬧?作的,就如雖然我不會成為仙姐家中高朋滿座的一員,但是偶然聽聽朋友轉述那些派對如何高興,心情也會輕快起來。 |