アニタ・ムイ逝去に寄せて 本当にそうか? 懺悔の手紙 アニタ・ムイが病魔に斃れてから、絶えず追悼番組が流れている。視聴者の多くはアニタがそれほどに我々を思っていたのに、何故我々は彼女を思ってあげなかったか?と、戸惑いを感じているようである。追悼文中には「私はアニタのファンではなかった」という語句を良く見かける。これは懺悔の言葉なのである。アニタに注目しなかった事、軽視までしていた事を。そして梅艶芳という三文字が過去になってしまい、突然嘆きだしたのである。 アニタが、残された力を振り絞り演唱會をし、CMに出演したのは、癌と戦うためではなかったかもしれない。関心のない人に注目させるには、「残念と思わせる」ことが何よりも有効かもしれない。テレビでアニタがウェディングドレスを着て天に昇っていく。振り返って微笑み、別れを告げる。現実にはこの光景はもうありえないことは分っている。すると多くの人は言うのである。「どうして生で見なかったのか?」と。つまりこれが最後の演唱會とわかっていたら、ファンでなくても紅館に見に行ったというのである。 実際にはほとんどの人が、これはアニタの最後の演唱會と知っていた。しかしおそらく外からはそこまで進行していると見えなかったのだろう。そしてこれを見逃すと、録画で見るしかないとは思わなかったのだろう。だから行かなくても良いと思った。香港人の多くは「臨場感」を求め、そのため香港コロシアムはあれほど賑わうと分っていただけるだろう。また多くの人が等しく、彼女の死は「一つの時代が正式に終わりを告げた」と表現している。この言葉には含蓄がある。香港をブランドにした魅力、その回復は難しい。そして香港の前途を語るより、自らの無力感を嘆くものが多い。特に中年以上(アニタと同世代)に、こういった感慨を抱く人が多い。彼らの感慨は香港の不況を経て、自分自身の中年危機にまで投射されているのかもしれない。しかしそうなら、感情的に嘆くのは止めて、考えてみてほしい。例えば休養し病気を治療することと、皆の見つめる中で最期を迎えること。どうしてアニタは後者を選んだか?この選択が彼女のどんな価値観を反映しているか?社会と、どう関係するか? 観客の愚かさ 四十路を越えたアニタが、芸能人としての栄光を目指すのは、非常に厳しい挑戦だっただろう。観客が一定の知識を備えていれば、成熟した芸能人であれば障害があっても、負かされてしまう事はない。しかし香港の観客は藝術鑑賞ではなく消費を求めている。どう消費するのが賢いかが問題であるから、流行に乗れば間違いなく、損もしないことになる。Twins、ケリー・チャン、容祖児が正解で、アニタ・ムイは古臭いといわれてしまう。観客は90年代になるとアニタからは離れてしまった。彼女は80年代のように若くないし、もう反抗的なのは流行らないからだ。 胡恩威氏は言った「香港芸能人にはキャリアを積むのではない、金儲けの機会をつかむだけだ。」この現象と我々の関係をどう見るか?アニタの人気低下とその後の懺悔は、香港人に対する警鐘であり、単なる哀悼の意や寂しさではない。香港人が現実的でないだけ、というなら、現実逃避が上手すぎるだろう。「梅艶芳」の遺産に対し、彼女が何を残してくれたかを冷静に分析しないのなら、自分のために彼女にお悔やみを言ってみただけである。芸能ニュースで、ある中学の副校長が、全校でアニタ・ムイを「追悼」したと聞いた時、私はどれほど驚いたか。「彼女は創造的だ。何度も様子を変えて、創意に富む!」といい、学生は「私たちは彼女を良く知らないけれど、自分の意思を持っていたと思う。彼女に倣って努力します。」といった。 アニタ・ムイは本当に社会の燈であったのか。口々に讃えられても、心の底からでないことは明らかである。一週間各メディアはアニタについて様々述べているが、ほとんど同じ形容である。生前各種の不幸に消費されたアニタは、亡くなるとすぐ、生前には登れなかった道徳的高地に奉られた。私であれば大笑いしただろう。喜びからではなく、その愚かさを。 精神的リーダーを受入れない この現象は、香港人が芸能人以外、いかなる精神的リーダーも受入れない事によるのだろうか。それとも私たちは、自分が注目されたい、望まれたい、受入れられたい、そしてお金をもうけ、物質と名誉を得たいと思っていることを、スターに重ねているからだろうか? 梁款は《一個喪禮、兩點體會》(信報1月19日)で、ある研究者の観察を書いている。 (1)香港人は香港に愛着があり、それが香港芸能界の発展を促進してきた。(2)香港人が香港について語る物語は、多くの場合スターの身に起こった事である。私はこのように括ってしまうことには賛成できない。なぜならもし香港人が本当にアニタ・ムイの才能を終始愛したのなら、彼女は華やかに取り繕って憂鬱を覆い隠さなくても良かっただろう。そして更に悲しむべきはアニタの人格を讃える裏にある、香港人が彼女を消費の目的としていたという悲劇なのである。 梅艷芳死訊傳來那天,編輯來電約稿,我?我不是?的「粉絲」(Fans台灣譯法),但印象深刻的是イ巨的showmanship。於是寫了篇〈芳與菲〉(《信報》,十二月三十一日),因我一直喜歡有齣話劇的名字叫《遍地芳菲》。而同屬天后級人馬,?跟王菲對舞台(也即是觀??)的態度確是天淵之別-後者在?的演唱會留下的名句:「我 mou encore。」梅艷芳則是:「……鎖起門唔准走!」(《極夢幻演唱會》)。 一篇篇懺情書 尤其當這句話在?病逝後以悼念的方式被不斷重播,力量就更是懾人。聽者很少會不被震動:原來梅艷芳這樣愛我們,但我們愛???假如?有稍為留心,將發現大多數為梅艷芳寫悼文的人,筆下總有那一句「我其實不是イ巨的支持者」。只是洋洋灑灑的一篇文字下來,卻猶如一篇篇懺情書,所懺悔的,是對?的錯過、冷落、甚至曾經漠視、輕視。直至梅艷芳三字正式成為過去了的事-一般稱為「?史」-大家才忽然的心清明亮,集體發出浩歎:「?!」 也許這就是為什麼梅艷芳會把剩下的力量用來開最後一個演唱會和拍廣告,而不是與癌細胞搏鬥-要不愛?的人永遠想念?,沒有方法比為他製造「遺憾」是更管用的了。電視上重複又重複出現梅艷芳披著婚紗走上天梯回首一笑向大家揮別-明知道現實中不可以再有此情此景,很多人的反應都是:為什麼我會不在現場見證?言下之意,假如當日早知道這是?的「?唱」,儘管不是?的擁?,我也一定要坐在那裏捧場。 事實上沒有人不知道梅艷芳是 著病體來開最後的演唱會,只不過?在表面上仍不像實際的嚴重。可能是被表象蒙騙了,當時沒有入場者覺得已到了真正的 critical moment,殊不知這一錯過,從此只能在電視機上回顧二手的經驗。如果因此而替自己不?-?知道有很多香港人追求的正是「現場感」,所以紅館才會是那麼獨特的香港現象-也是可以明白理解的。 何況這神話還具有如此深蘊的隱?-悼文中,不少人均用「一個時代正式告終」來引伸梅艷芳的死,也就是?,香港作為品牌的叫座力,再難復當年勇。這?感觸,與其被?讀作對香港前途的?示,還不如?是慨嘆自己的無力感居多。又因為有此感懷者大多數乃中年以上(看著或跟梅艷芳一起長大),他們的動情,很可能也是通過香港的困境,來投射他們的中年危機。 如是這般,大家便可以以感性的吁嘆來取代了對許多問題的思考。例如,在休養醫病與「死」在大?目光之前,梅艷芳為何會選擇後者?這選擇反映出怎樣的(自我)價?觀?它跟社會有何關係? 港人愚昧可以至此 須知道作為藝人所追求的光榮,以踏入了四十之齡的梅艷芳來?,已經是對高難度的挑戰。所挑戰的,是?的觀?在各方面的水平,包括藝術、文化、政治。唯有在有一定知識水平的觀?群中,一個成熟的藝人才不會被有礙發展的狹隘意識所窒礙和打倒。但是反觀香港,大?追求的不是欣賞,卻是消費。而在如何消費才算精明的前提下,當然是緊貼潮流才叫不執輸和沒有蝕底。就以流行音樂來?,?起 Twins 會令人覺得?很 in,喜歡陳慧琳是型,唱容祖兒是很K,梅艷芳則沒有別的形容,只有「老餅」。 本來譚詠麟、李克勤也很「老餅」,所不同的是,他們是男人,或更準確地?,是麻??。而當整個社會都是以麻??和師?的意識型態為主導時,五十?的阿倫應該不用擔心「夕陽無限好」,四十?還不到的李克勤就更是距離?昏很遠很遠。唯是對型格與品味均不屬普通大?那杯茶的梅艷芳來?,香港觀?早在九十年代便開始疏遠?,因為當時的?已不再像八十年代般年輕,而之後的香港人亦不再反叛。 胡恩威?「香港藝人是沒有 career path 的,有的只是抓錢的機會」-這種現象,跟香港人如?和我有多少關係?如果有,那梅艷芳的事業的萎縮以及後來的謝幕式,便應是對香港人的警鐘,而不是單純的可惜、淒艷了。只是香港人若不是太現實,便是太?得逃避現實。在面對「梅艷芳」這樣的 legacy 時,大家不是冷靜分析?留下了什麼問題可供咀嚼,卻是為了讓自己好過(有台階可下?)而不斷為?打造光環。?不能想像我在有線?樂新聞台看見?灣某中學副校長在面對鏡頭解釋為何全校要在周會「悼念」梅艷芳時,感覺到有幾荒謬-「?有創意?!形象百變呀嘛,百變即係創意?!」學生:「我地都唔係好識?,不過覺得?好堅毅,係?得我地學習 好榜樣!」 儼如梅艷芳真是社會的明燈。只不過被他們琅琅上口的讚美,明顯不是出自由衷肺腑,因為連續一星期在報章電視和電台不停出現的有關梅艷芳的形容詞,也是同一口徑。眼看生前已因各種不幸而被消費的梅艷芳,一下子因死亡而登上之前不(可)能到達的道コ高地,換了我是?,一定會哈哈大笑-不因為高興,而是香港人的愚昧可以至此。 容不下精神領袖 有此現象,可是因為香港人容不下任何的精神領袖,除了?樂圈中人?因為?個人都可以藉此把自己?望被看見、被聽見、被慾望、被接受,及因而得到大量金錢、物質和名譽的回報,都投射在影視歌星之上? 梁款在〈一個喪禮,兩點體會〉(《信報》,一月十九日)寫「《壹週刊》?梅艷芳是『香港傳奇』,引證了本地學者?俊雄這幾年反覆提出的兩點觀察:(1)香港人對香港有情,這?情一直靠本土演藝事業聚焦推動;(2)香港人肯為香港?故事,這些故事許多時在本土演藝巨星身上全數顯現。」這樣的一味唱好,我卻完全不能同意。因為,香港人若真是對梅艷芳的才華愛得貫徹始終,?便毋須以富麗堂皇來掩蓋?的鬱鬱而終。而更令人難過的,是歌頌梅艷芳的人格的背後,是香港人對?的悲劇一生的消費興趣。 |