淡入與停格 Fade in and Freeze (要約)符立中 |
符立中:音楽評論家 Nilsson、Dame Schwarzkopf、Vishnevskaya、 Marton、Le Roux等にインタビューし、伝記を執筆。その評論はよく引用され、論理構成や文体も音楽界では広く模範とされている。著書は多く "五四文芸奨章"を受賞している。音楽に関する文としては快挙である。各国に招かれて講演を行い、白先勇、高行健、林懐民らと芸術製作を行い、EMI でCD製作にも携わっている。 梁朝偉がカンヌで受賞を重ねても、私は4年前に悲劇的にこの世を去った張國榮こそが、王家衛の正当なスポークスマンだと信じている。 王家衛と同じく、レスリーも香港から地位を築いていった。70年代のデビュー当時、レスリーと香港は折り合いが悪かった。しかし彼が奮起し、80年代に大いに人気を博した頃、香港はアジアの金融の中心になっていた。映画界にはショウ・ブラザーズとゴールデン・ハーベストという、両巨頭がいた。映画界も春爛漫で創意にあふれ、レスリーとブリジット・リンはジャッキー・チェンらのカンフー作品以外にも、確かな演技の魅力を見せて、アジアを席巻した。発展を遂げたがコントロールを失い、駄作を濫造した事で結局南方の映画界は根本から揺らいでしまったのだが。しかし香港映画が存在しさえすれば、レスリーは香港ニュー・ウェーブ以降の、最も重要なスターであり続ける。 そう、黄金時代のトーテムポールである。香港の過ぎ去った日々、戻らない青春の輝き、時間トンネルのなかで次第に色褪せていく姿。砕けて消えるような鈴の音。鈴の音がはたと止まると記憶の空洞のみが残り、人は後になってかけがえのないものと懐かしむ。 もし香港の没落が、植民-反植民という複雑な力関係に、長く苦しんできた為というなら、王家衛作品の登場人物たちの、形容しがたいアイデンティティーの混乱、自我の追及、自我の放逐、そして最後に待ち受ける自己の崩壊には、同情と哀惜の念を禁じえない。また「政治的寓意」の演出に、レスリーは初期から参加しただけでなく、この徐々に破滅する過程を他の俳優より精緻に演じている。彼の舞台上及び実生活での精神分裂、身体と精神の乖離、特にまさに映画のように芸術に殉じたような最期は、この100年間華人社会に現れた零落の様を描き出している。自覚のあるものは、どうして心動かずにいられようか? 《欲望の翼》は王家衛の最初の頂点だ。スターたちが惑星の様にレスリーを取り巻く。彼は自由気ままで、しかし執拗に生母と養母の間の全てを聞き出そうとする。その結果、二人の女性の愛に背く。出生の謎を追う事は、ある種の隠喩だ。彼は劉徳華のように誠実に(無知であるが)生きられない。彼には考えるところがあり、理想があり、俗に流れない事を証明したい。しかしまさに王家衛が提示したように、意識が清明であればあるほど、思うままにならない運命に苦痛を感じ、ついには異郷で死す。驚くべき事に、王家衛の初代スポークスマンとしてのレスリーの第一作には、すでに「死」が登場する。そして作品最後には、突然ナルシスティックに鏡に向かって髪を撫で付ける梁朝偉が登場し、新たな世代の「不良青年」が誕生した。そしてこれが真実を示唆していたことは、後に事実が証明する。 《楽園の瑕》は王家衛の美学と、政治暗喩の最高峰だ。この作品では現在を昔に置き換え、熱帯林を乾ききった辺境に移し、崩壊過程がより明確になる。全ての男女はレスリーを中心とするが、皆、魂が傷ついており、もう耐え切れない。レスリー演じる西毒は辺境にあって、運命の渡し守のようで、ベビーフェイスにひげを生やし、叙述者と化す。作品中で一人一人の運命を語り、さながら衆生の裁判官のように落ち着き払い、また天恵の鋭さが垣間見える。しかし彼自身も、運命に弄ばれる。 この二作は、レスリーの正反対の演技を見せてくれる。《欲望の翼》の始めには、スターたちは彼を中心にめぐる。そして私たちは、浮かれた男女の悲劇の傍観者となる。《楽園の瑕》ではナレーターの役であるが、彼にライトが当らなくなっても、レスリーはその貫禄を発揮し、俳優学校出身でなくても、この大場面を掌握できることを証明している。 《ブエノスアイレス》になると《ルージュ》で見せた、あの全てを圧倒する華麗な「伝説」はすでに老いているが、その双眸の魅力は永遠である。彼はまたもや辺境で(ブエノスアイレス!)で出演した。レスリーと梁朝偉は裏切り、裏切られる。王家衛が何度も撮影期間を延長した為、レスリーは途中で降板し、この作品が初代スポークスマンの最後の挨拶となった。面白いのは《欲望の翼》の最後で登場した梁朝偉が、ここから王家衛の新たな主役となっていることだ。そして初代と二代目、二人は《ブエノスアイレス》で愛し合った。 レスリーがいなくなると、王家衛は梁朝偉を登場させた。しかし風と共に現れ、風と共に去るような気ままさと瀟洒。誘うような視線。ずうずうしくあなたの顔を見たり、あなたを待っていて、振り返らざるを得ないようなことはない。梁朝偉の魅力は別で、ある種の男が、ニヤニヤ笑っているその悪そうな様。苦痛を抱えて放浪する姿などは、女性たちは放っていないだろう。 レスリーか梁朝偉か?これは熟考を要する選択だ。 梁朝偉はもちろん演技力の確かな、プロの俳優だ。しかし彼は性格も違えば、創作におけるインスピレーションもレスリーには及ばない。王家衛のスポークスマンであっても、レスリーのように共に創作することは出来ない。《楽園の瑕》で配役を転換したことで、レスリーと王家衛のインスピレーションの交流は、より強固なものになった。その他にも、少なくとも《覇王別姫》の程蝶衣、《君さえいれば。金枝玉葉》。完全に原作を覆した《白髪魔女傳》、《チャイニーズ・ゴースト・ストーリー》《狼たちの絆》《男たちの挽歌》《花田喜事》《家有喜事》《大英雄》などでも、これらは林沛理が言うように、「俳優作者(actor-author)」の創作である。一流の俳優が、自らの芸術の魅力で一流のライターや、監督の創造を触発したのだ。またトップスターのイメージを超えて、新しいスタイルを切開くことで、映画の客入りも確実になる。近い例はブリジット・リンの《刀馬旦》《東方不敗》、アニタ・ムイの《川島芳子》くらいしか思い浮かばない。 また男性スターで、これほど多くの作品の創作に携わるのは、中国語映画史上、極めて稀だ。というと、彼についてのデマを様々思い浮かべる人もいるだろうが、この事は彼の性的嗜好とは全く関係がない。彼が創造を触発するという現象は、かつて同性愛者の製作者が、お気に入りの男優の為に役をオーダー・メードしたとは異なる。疑いなく、彼の特別な芸術的雰囲気が、これほど多くの名作を生み出させたのだ。 80年代以降、レスリーはその美しさを讃えられるようになった。彼の追悼文にも、その美しさを賛美するものが非常に多い。筆者も異議を唱えるつもりはない。しかしレスリーが最も尊敬に値する点は、彼の偉大なるスターとしての魅力は、ほとんど後天的なものということだ!他のスターに比べても、レスリーの生まれ持った資質は、それほど優れているとは思えない。一般に想像されているように「恵まれた天性の資質」を、生まれ持ったのではない。若い頃の姿を見ると、後年とは異なる。歳月を経て、群れから離れて孤独だった雁は、白鳥に生まれ変わったのだ。エロチックな《紅楼春上春》から後に麗しい人といわれるまで、彼は苦労して「美麗伝説」を体現した。 私がとても気に入っているエピソードがある。楊凡が彼を起用して《美麗傳奇》続集を撮影しようとした。すると彼はさらっと「前集には僕を呼ばなかったのに、どうして《美麗傳奇》と言えるの?」と言ったそうだ。私は彼のファンではないが、この揺るぎない自信に感服した。彼をあまり理解していなければ、おそらくこの様に自信たっぷりに、傲慢なセリフを口にできる者はいないと思うだろう。若い頃から始め、最後には最も香港を代表し、最もスターの魅力に溢れた俳優、歌手となった。時にはそれ以上、文化的意義を持つ社会的シンボルとまで言われる。この点では、かつて彼が並んで評せられた俳優たち、また梁朝偉や蕭芳芳といった、香港映画史上最も優れたと認められる俳優でも、彼には及ばない。 美のために、美を愛するがゆえに、長い期間耐え、ゆっくりと積み重ね、一年一年と修練を積み、日々の切磋琢磨が輝きを生んだ。自然の法則に反したこうした追求は、最後には彼個人の深部にねじれを生み、悲劇的な落とし穴を作ってしまった。しかしレスリーが最も人を感動させるのは、一回又一回と、彼がこの様に苦労して追い求めて得た「身体神話」を、娯楽として惜しげもなくファンに与えてくれる事だ。言い方を変えると、観客として私たちは彼の美しさ(その才能の、生み出す芸術も含め)と、彼の嬉しい裏切りも楽しめるのだ。例えば《家有喜事》で結婚しないのは「子どもを生むのはとっても痛いからよ!」と言ってみたり、等等。「アイドル」が感動的なまでに、自分を捨てている。しかし彼が人の世に別れを告げてから数年経ち、笑えない光景も目にする。私は仏頂面で「レスリーは社会にとって最悪の見本だ!」などと罵る偽君子が分からない。彼に対して、人情味の欠片もないというのか? 《烈火青春》から彼は、香港ニュー・ウェーブ映画を果敢にリードしてきた。《チャイニーズ・ゴーストストーリー》で日本、韓国にもマーケットを広げた。そしてその頂点たる《さらばわが愛、覇王別姫》では、ハリウッドさえも心服させた。しかしこの華語映画界の為に心身を捧げた俳優は、この役の為に憔悴しきっただろう。もともと徐楓女史が彼に出演依頼をしていたが、セールスの関係でジョン・ローンに話がいった。しかし最終的にはジョン・ローンは断り、彼の出演となったそうだ!カンヌでは最高の栄誉であるパルムードル奨のために、影帝になる事は諦め、金馬、香港金像奨でも受賞出来なかった。この作品での名誉は欠いたとしても、京劇の仕草を特訓し、香港で一二を争う北京語作品を創り上げた。 ブエノスアイレス》では売り上げは伸び悩み、彼のキャリアも陰り始めた。最後に彼を見たのは、アニタ・ムイと共に金馬奨に出た時だった。このカップルは本当にすばらしかった。夜のしじまの中、あたかも立ち上るスモークの中から華麗な伝奇が姿を現したようだった。ファンでない者にさえ、二人は「様々な偉業を成し遂げてきた!」事が伝わってきた。アニタ・ムイの俗っぽい魅力とレスリーの洒脱と瀟洒の極致を見て、「風華(風格と才能)」の二文字を思い浮かべた。私はレスリーほど上手くスーツを着こなしている人を見たことがない。彼の第二の皮膚のようだ。歩く姿も、そのリズミカルな動きから目が離せない。あの年、彼は最佳男主角にノミネートされたが、《ブエノスアイレス》のもう一人の主役である梁朝偉はされなかった。しかし残念にもそこまで評価されず、式の途中で誰かが受賞者名の情報を伝えたらしく、彼はすぐに行ってしまった。 あれほど華々しく美しく、あれほど痛ましい、彼の最後の傑作。レスリーだけが王家衛にひどい目に合わされたのではない。他の俳優たちもだが・・・王家衛が完成しなかった物語は、王家衛が飛散したパズルのなかで迷いつつある時、華麗な姿や、グラスのきらめきが交錯するダンスパーティーで、伝説となった男たち女たちが麗しいパートナーを伴い、語るに間に合わなかった物語を携えて一堂に会し、この場にいない主人を悼むだろう。 彼は最後に、いちかばちか、飛んでしまった。それからも平安には済まなかった。社会の反応は、伝統的な封建社会の道徳家たちが、冷徹に罰を受ける者を見ている様を思わせた。また「あんな事をするなんて、私たちには彼は理解できない(彼は自分とは違う人種)」と、辛辣に言う者もいた。 時に私は、レスリーについてのこうした騒ぎに、嘆息してしまう。ただ彼の血痕が消し去られただけでなく、この社会は一瞬にして変わり果てた人生をどう見ているのだろう?と。感謝を知らず、同情の気持ちもなく、もてはやし騒ぐのも、ただ時の流行に追随する為だったのか?そして更に真似たり、茶化したり。では更に美しい芸術を創造したとしても、それも完成と同時に地に落ちてしまうのか。そして永遠に、永久に歴史上に跡を留めるのみなのだろうか。 |
2007/9/12 レスリー・チャン51歳の誕生日に