■ 4. 後期の作品における張國榮──盧偉力
蘆偉力:
後期の作品にみえる価値観
先ほど《煙飛煙滅》での彼を見て頂きましたが、それを次にお話しようと思います。この姿は後期の作品で非常によく見られる、
ひげを生やしたものです。インタビュー場面ではひげはありません。《流星》では落ちぶれた男の役です。ハンサムな役ではありません。
彼自身はもちろん非常にハンサムですが、美しくない状態を演じようとしています。《追憶の上海》ではもっとひげは長く多くなり、
《星月童話》では上唇にひげです。彼のレベルの俳優になると、自分の演じる格好について監督に話しができるようになります。
1999年以降の作品では、全てその姿で登場しています。
《追憶の上海》では、彼の二面をみられます。一面は精力的な革命者で非常に感動的な演説を行ないます。その半面、彼は病人であり、
冷汗を流して苦しみます。《星月童話》では囮捜査官です。黒社会で生き、スマートとは言えず、話し方も下品です。《追憶の上海》と同じ様に
上唇にひげをはやしていますが、性格は違います。《星月童話》でチンピラに殴られたり、芸術上美しくないですが、どうしてこうした役を好んで
演じたのでしょう?こういった役に如何なる価値を見出したのでしょう?私はこの時期には彼はアイドルを脱却したかった。アイドルとしてでなく、
一人の俳優として観客に向かいたかったと思います。それも平凡な俳優ではなく、自分の性格を演じるのでもなく、その人物を演じ切りたかった。
後期、彼は性格俳優を目指しました。革命者、囮捜査官。落ちぶれて疲れた中年男。子供を連れていて父、母であり、子供の友達でもある様な。
また《ダブル・タップ》での二つの顔を持つ男、《カルマ》では更に心理的に複雑な人物を演じています。性格俳優を目差し、難度の高い役や精彩
を放つ役に挑戦しつづけています。香港は張國榮を失ない、銀幕から多くの大切な登場人物たちが消えてしまった可能性があります。
林紀陶:
性格俳優への道を突き進む
1997年以降の演技には大きな転換が見られます。自分の性格に似通っていない役を演じ始めたのです。「彼の性質でない演技」と言う所が重要です。
蘆偉力:俳優の演技は三種類に分類できます。一つは類型俳優です。笑わせるとか、悪辣だとか、アイドルも類型の一つでしょう。例えば青春アイドル
など。不細工もです。サンドラ・ンはデビュー当時不細工ばかり演じていましたが、彼女は決してブスではありません。もう一つは気質演技。俳優の気質
に似た性格を演じるもので、感傷的というような気質を滲ませます。《欲望の翼》《チャイニーズ・ゴースト・ストーリー》などがその例です。張國榮であるか
らこれらの演技ができたのであって、他の人では成り立ちません。最後が性格俳優です。作品中の人物の性格を演じることを目標とし、俳優自身の
気質に近いものばかりではありません。例えば張國榮はチンピラではありませんし、《カルマ》ほど難しい人でもありません。しかし複雑な役を演じています。張國榮はアイドルから素質俳優を経て、性格を演じ切ってみせました。
中国映画三作を分析しますと《さらば我が愛 覇王別姫》は張國榮の素質で演じています。《花の影》も素質ですね。《追憶の上海》は違います。
ここでの演技はすばらしく、より高いレベルに到達しています。97年がターニングポイントであるというお話に付け加えたいと思います。あの年彼は《ブエ
ノスアイレス》に出演しています。奨にノミネートされたのはふたりでしたが、張國榮は受賞できませんでした。張國榮は自分を演じていると言った審判
がいたからです。哥哥は非常に気分を害していました。「《ブエノスアイレス》のどこが僕なんだ? 僕があんなに我がままで、自暴自棄で残忍と言うのか!」
と憤っています。《ブエノスアイレス》では素質を演じたのではありません。先ほどごらん頂いた《煙飛煙滅》でのインタビューシーン。あれこそが張國榮です。《ブエノスアイレス》の役は演技ですから、彼自身だとは考えないで下さい。
蘆偉力:
性格と性的嗜好の違いを誤っている人もいます。嗜好が異なるからと言って、性格も異なるとは限りません。
性格というのはある人の世界に対する見方です。例えば、彼が多様性のあるこの世界を愛していたこと、自分と周囲の人の関係、自尊心の強さなどです。
性的嗜好は周囲の人に同性を選ぶか異性を選ぶかということです。その嗜好と性格は別のものです。《ブエノスアイレス》について、張國榮が自分を演じ
たという論調がありましたが誤りです。
林紀陶:
《カルマ》の演技の重層性
次に《星月童話》《追憶の上海》《カルマ》のシーンをご覧頂きますが、これは哥哥の素質ではなく彼の卓越した演技です。
蘆偉力:
《カルマ》をご覧頂きますが、このシーンは彼の演技の中でも最高傑作の一つだと皆さんに認めて頂けるでしょう。俳優の演技でもっとも重要なの
は表情です。普通監督は状況を映した上で、俳優に演じさせます。しかし《カルマ》のこのシーンは表情の変化のみです。7分間という短い間にこの役では
彼女と同居を始め、口げんかをし、その後催眠状態になり分裂します。催眠状態の自分と、故人となった以前の彼女による抑圧状態です。表情の変化を
良く見て下さい。このシーンを表情のみで演じ切っています。そして催眠から醒め、昔の品々をみていた事が分かり…と重層的に変化していきます。これこ
そが後期の張國榮の演技の最高峰であり、正に性格俳優の演技だといえるでしょう!
■ 5. 張國榮の将来の作品──盧偉力、林紀陶、榮雪煙
蘆偉力:
誠意のある作品を撮りたい
林先生は張國榮が撮影しただろう作品を見られないのは遺憾だとおっしゃいました。榮雪煙先生も彼の監督もしくは映画製作者としての潜在能力に
ついて言及されました。もし張國榮が今もいれば、どんな役、どんな人物を創作したでしょうか?
榮雪煙:
私は哥哥の後期の作品では、心理的問題をテーマにしたものが多い様に思います。インタビューでこう述べています。「僕は香港映画に大きな
希望を持っている。皆が誠意を持って作ろうとすればね。今はオファーを受ける基準も、誠意が感じられる作品かどうかだよ。」誠意が感じられるかが、
彼の基準でした。そして引き受けた作品には、心理状態の演技が多いです。《カルマ》《ダブル・タップ》のような。彼が自分の力を発揮できる役、俳優とし
て創造空間がある役を望むとも言っていましたね。
蘆偉力:
誠意について言いますと、彼が《流星》をHK$1で引き受けたことは有名です。この作品にも真剣に取り組み、いい加減な部分はありません。
出演理由は彼が「次の世代の為に!」という重要なメッセージを理解していた為だと思います。《煙飛煙滅》のシナリオ作製でも「次の世代の為に禁煙を!」
と訴えています。未来に憧憬の念を抱いていたことが分かります。
林紀陶:
《楽園の瑕》の登場人物たちの未来
今後映画を撮るとしてどのような役が張國榮にふさわしいかですが、私は実在の役を挙げたいと思います。《2046》の2047列車に乗っている木村拓哉
です。この役は張國榮です。なぜなら《2046》のトニー・レオンの役が張國榮を表現しているからです。《2046》は《楽園の瑕》の張國榮に対応しており、
「鏡に映った」物語なのです。疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。ウォン・カーワイは《楽園の瑕》で実験を行ないました。《欲望の翼》で張國榮が鏡に
向かってひとり踊るシーンを主題に《楽園の瑕》にまで発展させています。《楽園の瑕》は《欲望の翼》の古装編もしくは心象編です。観世音菩薩が見ている
ものは全て自分自身を見ているのだと言います。トニー・レオンは全て鏡に映った張國榮です。張國榮は"西毒"ですが、彼が見る"東邪"は彼の未来で、
悲劇で幕を閉じる。もう一つの可能性は"北丐"であり、妻と砂漠を去るという喜劇的な結末を迎えます。作品中でも"東邪"が"西毒"であると語られ、慕容
嫣にとっては同一人物です。作品に登場する英雄は皆同一人物であり、彼らは互いに出会った後同様の感触を持ちます。非常に心理性の高い演出です。
《2046》ではそれを反転させ、もう一度ストーリーをたどっています。そしてトニー・レオンが演じています。この興味深い点は、多くの評論家が指摘していま
す。
蘆偉力:
時代や民族の特色を反映した演技
もし張國榮が今いたなら、どんな創造活動を行ったか? 私はよく知られている俳優を例に考えてみたいと思います。例えば"趙丹"。彼は30年代、
20代で《馬路天使》や《十字街頭》を演じ、当時の上海の若者を熱狂させました。デビュー当時はアイドルでしたが、その後自分の素質を活かして演じまし
た。50~60年代には中国の音楽家"聶耳"や"林則徐"、革命家、古代中国の著名な医師"李時珍"の青年期から晩年まで等を演じています。彼の例から
分かるように、能力のある俳優なら、若い頃はアイドルでも、自分の素質を活かし、その後多彩な役に挑戦できます。その時代や民族、文化、文明などを
反映した役を演じられます。もし張國榮がまだいたら、もしかしたら中国文化の男性版の"チャングム"を演じたかもしれません!
林紀陶:後輩たちが張國榮の演技を受け継ぎ、発展させる
張國榮に演じて欲しい役と言うなら、話は尽きません。《カルマ》のレベルに到り彼はどんな役でも演じられるようになっています。 "すばらしい演技の
できる俳優"という役でも彼は演じ切ったでしょう。そして張國榮の未完の演技には、多くの後輩が憧れています。張國榮の後継者が出てくることを期待し
ます。
蘆偉力:
私も同じ意見です。トニー・レオンの演技は内観的なものです。張國榮の演技にも見られます。例えば《追憶の上海》では力のこもった演説をしても、
その表情は誇張されていません。《カルマ》では、正確にその感情のあるべき幅と言うものまで正確に演じています。自分を内観する時の強さ、情緒の高
ぶった時、一つ一つ演じています。俳優がその役が体験する種々の心理状態を受け容れ、演じようとした時、その俳優の芸域は無限に広くなるでしょう。
演じる役のキャラクターはより豊かに複雑になります。《カルマ》を見れば明らかです。
音楽感溢れる映画を創作
クリエイターとその人の生活環境とは切り離せません。《煙飛煙滅》での会話は、張國榮が日常良く聞いているものです。例えばアニタ・ムイはマネージ
ャーで、他に歌手がいたり、彼が良く知っている世界です。しかし創作には、こういった生活の中にある素材だけでは不十分です。榮先生、創作に携わる
立場から、張國榮にどういったテーマを取り上げて欲しいと考えられますか?
榮雪煙:
私個人としては、彼が撮ったものは音楽的になったと思います。彼は俳優として監督の芸術に向き合ってきました。《追憶の上海》で難産の場面があり
ましたが、監督はどういう方法で撮影するか悩んでいました。その時張國榮が提案したそうです。シンプルに布を壁に掛け、カメラは布のみを写す。
布に写ったシルエットを通じて、ムイ・ティンの心身の状態を写すという方法でした。結局監督は異なる方法で撮りましたが、もし撮影されていれば非常に
音楽的なものになったと思います。
蘆偉力:
抑圧に耐えて勇敢に生きる役
私も二つの方向について考えてみたいと思います。一つは彼の生活からテーマを得るものです。張國榮は考え抜いて90年代半ばから後半には、
はっきりと同性愛を認めました。これは彼の人生においての非常に重要な事実です。当時彼は40歳でした。この年タバコを止めています。《煙飛煙滅》
でも自分へのプレゼントとして健康を送ることにしたと述べています。これは同性愛をテーマにした作品を撮りたいと言うことではありません。彼が撮った
人物たちは、初めはその愛情を隠していても、最後には社会に向かって、その愛の対象を宣言しています。これがポイントです。張國榮が創ったならば、
気持ちを表わせず抑圧され、耐えて後に勇敢に生きるという役になり、またそういった役に彼は最適でしょう。真に迫って演じると思います。
林紀陶:
もし《流星》に続編があったら、この話には続きがあって良いと思いますが、次の世代への想いが語られるでしょう。
表現芸術における完璧な美の世界を代表
本日始めにお話しましたが、張國榮に演じて欲しい役は数多くあります。なぜなら彼は無限の可塑性を持っているからです。役になりきり、古今東西、
狂暴な人物も、温和な人物も見事に演じます。男性が女性の特徴をもっても、女性が男性の特徴をもっても、彼には問題になりません。現代でも過去でも、
男性でも女性でも、全て備えており、想像して作り出すものではありません。"多元性"を創り出したと言えるでしょう。実際の哥哥は現実の中で生きていま
す。しかしメディア、銀幕、歌、その芸術生涯では"完美"というものを表現しました。人の最高境地、完璧な美の世界です。
蘆偉力:作品を貫くものは愛
その他、私は彼の作品を見ていて"愛"を感じました。《煙飛煙滅》では父子のシーンがあります。子供の背中のアザに気付くシーンでもありますが、
こういった何気ない所から、彼が父として思いやる気持ちを持っていたと分ります。
まとめますと、彼が今も生きていたら、彼は多様多彩な役を演じ、完璧な美の世界を追求し、真摯に取り組んだでしょう。そして彼のメッセージは"愛"と
切り離せない関係にあると信じます。
■ 6. 質疑応答とまとめ
蘆偉力:
御質問をお願いします。先にうかがって、後でまとめてお答えしたいと思います。
- 観客1:林先生がおっしゃった、張國榮と賈寶玉についてを、もう少し詳しく教えて下さい。
- 観客2:声の演技と言うのも張國榮の演技では非常に重要な一部分だと思いますが、ゲストの皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
- 観客3:張國榮が"徐志摩"を演じることについて、どう思われますか?
- 観客4:張國榮についていい加減なことを書いた本が売られていて、情けなく思います。
ゲストの皆さんは張國榮を高く評価されていますが、哥哥について本を書いて論証することは考えていらっしゃいますか?
- 観客5:私たちは銀幕での張國榮を知っているだけです。私は彼の実際の性格を知りたいと思います。また哥哥がもっとも好きだった映画が何か
分れば教えて下さい。
蘆偉力:
張國榮の真情
私は彼がどんなタイプの映画が好きか、どの作品が一番好きかは分かりません。
香港電台のインタビューから垣間見えた性格は、真面目で誠実でした。昨年の検討会でお見せしたインタビューで、羅志良監督について語っていた彼
も誠実でした。一般に大スターになるとデビュー後間もない監督の作品に出演することはまれですが、しかし哥哥は羅志良を助けた。しかも一度だけでは
ありません。また快くインタビューを受けて、羅監督には潜在能力を感じたからと言っています。歯切れよく語り、これも彼の性格の一面を表わしている
でしょう。またHK$1で《流星》の出演を引き受けています。この作品での子供との関係は非常に自然で、こういった所から彼の本当の姿が垣間見られます。
林紀陶:
哥哥にとっては、最も好きな作品を選ぶというのは難しかったのではないでしょうか?俳優や監督の多くが、自分が好きな作品を
選ぶのは難しいと言います。
今私がもっているこの本では、榮先生は先ほど指摘された類のいい加減な本だとおっしゃいましたが、哥哥の好きな作品は《風と共に去りぬ》だとしてい
ます。最も嬉しかったことは《覇王別姫》がカンヌでパルムードル賞に輝いたこと。自分が主演した作品で一番好きなものは書いてありません。俳優に
とって自分の出演作品で、最も好きな物を言うのは非常に難しいでしょう。特に哥哥のようなレベルに達すると、演技中はなりきっていますから、演技も
自己の一部分になっていると思います。
蘆偉力:
賞を獲った、獲らない。観客の受けが良かったか否かは、彼がその作品を気に入るかの要因ではありません。張國榮は1977年に父の病気の為、
イギリスの大学から香港に戻り、そして麗的電視台の歌唱コンテストに参加し、非常に長い《American Pie》を歌いました。ここから彼の肉親への愛情を
感じます。そして自我の強さも分かります。当時流行っていた歌を選ばす、7分以上もある曲を、好きだから歌った。ここからも彼の性格が分かります。
榮雪煙:性格俳優にとって、どの作品でもなりきっている時の感情は本当に感じていることです。そこまでやって、初めてその作品が好きに
なれます。例えば先ほど林先生は、この本には哥哥は《覇王別姫》が好きと書いてあるとおっしゃいました。しかしその後のインタビューで「もし《覇王別姫》
を撮り直す事があったら、もっと巧くやれる。」と言っています。その時最も好きな作品を聞かれて答えたのは、《ブエノスアイレス》でした。しかし《ダブル・
タップ》も《カルマ》も撮っていない頃ですので…俳優として、各段階でそれぞれ変化しています。自分の以前の作品について振り返ると、いつももっと巧く
演じられると思うのでしょう。そして気に入るのはやはり、自分の最新の作品になると思います。
蘆偉力:
賈寶玉の立体化
張國榮と賈寶玉の関係について、林先生にお願いしましょう。
林紀陶:多くの方が、張國榮は賈寶玉の役にはベストの俳優だとおっしゃるでしょう。現実の張國榮が、賈寶玉の姿を見せています。
私はあの昔の作品を指すのではありません。多くの評論家が指摘していますが、実際の張國榮の挙措動作が賈寶玉らしいのです。張國榮自身も文学
では《紅樓夢》が一番好きと答えています。特に賈寶玉という人物が好きだと。私は彼が、この役を具体化できると考えていたのではと思います。
蘆偉力:
私の友人が、《紅樓夢》を読みながら出番を待つ張國榮をみかけたと言っていました。自分に対して要求の高い人と分かります。
林紀陶:
そうです。皆が世話を焼きたくなるベイビー。2003年にお話しましたが、現場でプリンスです。いたら必ず皆の中心になって。賈寶玉的な性格を持って
いました。しかし何故私が賈寶玉は張國榮に似ていると言うのか。それは賈寶玉が有利なのは、彼が文学に描かれた虚偽の人物であるからです。
文学の良い所は読者の想像の余地があり、突拍子がなくても、現実離れをしていても良いことです。しかし張國榮は違います。実在の人物であり声と
肉体をもっており、「彼が張國榮です」と示せます。読者が賈寶玉の姿をどう想像していようと、現代の世界に入ってくると、その姿は消えてしまいます。
張國榮は現代社会でも、時代物でも演じられます。彼の容姿が賈寶玉の具体化だとしても、左目の三重まぶたをみれば張國榮と分かります。
あの端麗な容姿は賈寶玉はかくあるだろうと思わせ、哥哥の声で賈寶玉が実像化されます。虚偽の人物を完全に具体化することは、虚偽の人物
にはできません。それゆえに、張國榮は賈寶玉より優れていると言えます。張國榮は賈寶玉を演じられても、賈寶玉は張國榮にはなれません。
蘆偉力:
声での表現と演技
声の演技についても質問がありました。《追憶の上海》では絶妙でしたね。彼は普通話と英語を話しています。普通話では演説もしていますが、十分注意
できる俳優でないと、母語でない言語で強い演説口調で話すことは難しいです。先ほど見て頂いた《カルマ》でカリーナ・ラムと話す場面では、何気ない会話
ですが感情が高ぶっているという状態です。声の調子を非常に良くコントロールしていることが分ります。
彼の美学は、唯美主義のみではありません。《煙飛煙滅》の最後のシーンでは背景に竹が雑然と生えています。彼は生活の中から情感の美を生み出
そうとしました。もし"徐志摩"という唯美的な役を演じるなら、自分の素質で演じたでしょう。しかしもしその作品を監督するなら、中国やイギリス・ケンブリ
ッジに行き、社会環境や背景を調べ、その質感をだそうとしたに違いありません。唯美主義的な性格もありますが、監督としてはリアリティーと質感を大切
にしたと思います。
林紀陶:
私も張國榮が中国の作家・徐志摩を演じることを考えました。他に"郁達夫"も哥哥にしか演じられないと思います。また彼とは全く違う人物ですが、
後期の作品から見ると、"魯迅"も出来たと思います。
声の演技についてはお話したいのですが、まだ蘆先生のように細かく分析できていませんので、自分の経験について話そうと思います。《キラー・ウルフ
白髪魔女傳》の撮影が始まった時点では、まだVoice Overがありませんでした。撮影時、哥哥が台詞で言うはずのことが事情でカットされ、ある人物に
ついての描写が不十分になってしまいました。あとで哥哥が作品中で、卓一航の生涯について語ることになりました。その声の演出で、私は元のシナリオ
のレベルも一段上がったと感じたほどでした。《キラー・ウルフ》のシナリオは金馬奨を獲りましたが、哥哥の功績も大きいと思います!
■ 6. 結び
蘆偉力:
今後も私たちは、哥哥が完璧を追い求め、プロ精神を持ち、芸術への追求を続け、"愛"を肯定し、実践していたその精神を自分たちの生活の中で実現
することで、哥哥をしのびましょう。《煙飛煙滅》では、彼はとなりにいる人の為に禁煙しましょうと呼びかけました。あなたがタバコは吸わないとしても、
何かしらの悪習慣があると思います。周りの人の為に、何かをしましょう。習慣を変えてみましょう。哥哥の精神を座右の銘にして下さい。これも張國榮が
生涯をかけて、私たちに贈ってくれたメッセージだと信じます。
会はこれまでです。我々が愛してやまない張國榮先生に盛大な拍手をお願いします。
-- 完 --